最高裁判所第二小法廷 昭和62年(行ツ)76号 判決 1988年4月22日
上告人
井上藤治
上告人
松下由春
上告人
前田佐一郎
右三名訴訟代理人弁護士
杉島勇
杉島元
山崎幸三
被上告人
太田冨士雄
右訴訟代理人弁護士
太田常晴
野々山宏
國弘正樹
主文
原判決を破棄する。
被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人杉島勇、同杉島元、同山崎幸三の上告理由第一について
一地方自治法(以下「法」という。)二四二条二項本文は、普通地方公共団体の執行機関・職員の財務会計上の行為は、たとえそれが違法・不当なものであつたとしても、いつまでも監査請求ないし住民訴訟の対象となり得るとしておくことが法的安定性を損ない好ましくないとして、監査請求の期間を定めた。しかし、当該行為が普通地方公共団体の住民に隠れて秘密裡にされ、一年を経過してからはじめて明らかになつた場合等にも右の趣旨を貫くことが相当でないことはいうまでもない。そこで、同項但書は、「正当な理由」があるときは、例外として、当該行為のあつた日又は終わつた日から一年を経過した後であつても、普通地方公共団体の住民が監査請求をすることができるとしたのである。したがつて、右のように当該行為が秘密裡にされた場合、同項但書にいう「正当な理由」の有無は、特段の事情のない限り、普通地方公共団体の住民が相当の注意力をもつて調査したときに客観的にみて当該行為を知ることができたかどうか、また、当該行為を知ることができたと解される時から相当な期間内に監査請求をしたかどうかによつて判断すべきものといわなければならない。
二(一) 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、精華町で税理士を開業する住民であつて、町の予算の執行状況について一般の住民に先んじてその内容を知りうる公職にある者ではない。
(2) 精華町長である上告人井上は、府営祝園地区かんがい排水事業の用地買収の補償金として、昭和五五年四月一九日上告人松下に対し八八五万九二二六円を、同月二六日上告人前田に対し五二万〇七七四円をそれぞれ支払つた(以下「本件支出」という。)
しかし、本件支出は、予算外収入の金員でされた予算外支出であつたため、関係者以外には秘密とされ、一般の住民はもちろん町議会もこれを知らなかった。
(3) 町議会議員大崎鉄平は、本件支出を単独で調査し、昭和五九年六月二七日、同年第二回精華町議会定例会(会期・昭和五九年六月二五日から同年七月九日まで)において、町長(上告人井上)に対し、関連質問として、本件支出及びその前提となる町長の同意(町長が昭和五五年三月精華町内で住宅地開発事業をしていた企業三社に対し当該事業計画区域から流出する雨水を河川に流入させることについてした同意。以下「本件同意」という。)と予算外収入との事実関係を突然質したので、町長(上告人井上)はその事実関係を説明して陳謝した。
そこで、町議会は、法一〇〇条に基づく調査を行うため特別委員会の設置を議決した。
(4) 新聞、テレビ、ラジオは、町議会における大崎議員の右の質疑について報道しなかつた。
しかし、昭和五九年一〇月精華町の住民に全戸配布された広報誌「精華町議会だより第二五号」は、「六月定例議会 用地買収費 予算計上せず処理 議会、百条調査権を発動」という大見出し及び「予算不法執行に再び町長陳謝する」という小見出しを掲げて、右の質疑を報じた。
(5) 右町議会定例会の会議録は、昭和六〇年二月五日ころに至つても調製されなかつた。
(6) 法一〇〇条に基づく調査のため設置された用地買収事業調査特別委員会は、約七回にわたり審議を遂げ、町議会議長に対し、昭和六〇年三月二九日付報告書を提出した。しかし、同委員会は、全委員の了解のもとに、資料についてはその公開を制限し、複写を禁止したうえ、その委員長の判断により事実上住民の傍聴を制限したため、一般の住民に対しては非公開の形で運営された。
(7) 被上告人は、前記(3)の質疑のされた町議会定例会を傍聴しなかつたし、事前にその質疑のあることも知らなかつた。しかし、被上告人は、昭和五九年一〇月中旬配布を受けた「精華町議会だより第二五号」を見て、本件同意及び予算外収入の存在並びに用地買収事業調査特別委員会の設置を知つたので、同委員会が事件の真相を解明するものと期待していた(したがつて、被上告人は、昭和六〇年二月六日に至るまで町議会議員から右の町議会定例会及び同委員会の質疑応答の内容を聞いたことはない。)ところ、昭和六〇年二月六日の新聞記事によつてはじめて本件支出の概要を知り、同月七日、知人の町議会議員から同委員会の審議内容を聞き、資料の提供をうけた。
(8) 被上告人は精華町監査委員に対し昭和六〇年三月八日本件支出について監査請求をした(以下「本件監査請求」という。)ところ、精華町監査委員は被上告人に対し同年四月三〇日本件支出は違法ではあるが無効とするにはあたらない旨の通知をした。
そこで、被上告人は同年五月二九日第一審裁判所に本件訴えを提起した。
(二) そして、本件の訴訟記録によれば、右の「精華町議会だより第二五号」には、その記事として、「議会は、五十四年度施行の祝園かんがい排水事業の用地買収執行について追求したところ、京阪・野村・三井の開発業者より、千三百十八万円を受領し、その内三百八十万円は五十四年度会計に計上してあるが、残る九百三十八万円を予算計上」しなかつたこと、及び、「昭和五十四年度の祝園地区かんがい排水事業に関連する用地買収費の九百三十八万円が計上されていない事が明らかになり、町長は又も陳謝した。」ことを記載してあることが明らかである。
三前記一の説示に徴すると、右二の事実関係のもとにおいては、被上告人ら精華町の住民にとつて、遅くとも「精華町議会だより第二五号」が配布された昭和五九年一〇月中旬までには、町長である上告人井上が府営祝園地区かんがい排水事業の用地買収の補償金として町の公金九三八万円を違法又は不当に支出したことが明らかになつた筈であり、被上告人ら精華町の住民がこの時から相当な期間内に監査請求をしたかどうかによつて法二四二条二項但書にいう「正当な理由」の有無を判断すべきところ、被上告人は右の時から四か月余を経過した昭和六〇年三月八日になつてはじめて本件監査請求をしたのであるから、本件監査請求が本件支出のあつた日から一年を経過した後にされたことについて同項但書にいう「正当な理由」があるということはできない。
なお、町議会が法一〇〇条に基づく調査を行うため用地買収事業調査特別委員会を設置し、同委員会が本件支出の調査を進めていたとしても、そのことは監査請求ないし住民訴訟の提起とはなんらかかわりがないから、被上告人が同委員会の調査の動向を見守つていた故をもつて、本件監査請求について法二四二条二項但書にいう「正当な理由」があるということはできない。
また、精華町監査委員が本件監査請求について誤つて法二四二条二項但書にいう「正当な理由」があるとしてこれを受理し、監査を行つたとしても、そのことによつて、監査請求の期間を徒過した本件監査請求ひいては本件訴えが適法となるものではないことも当然である。
四以上によれば、本件訴えは、適法な監査請求を経ていないから、不適法な訴えとして、これを却下すべきものである。そうすると、これと異なる見解に立つて、本件訴えを却下した第一審判決を取り消し、本件を第一審裁判所に差し戻した原審の判断は、法律の解釈適用を誤つたものといわざるを得ず、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、右に判示したところと結論を同じくする第一審判決は結局正当というべきであるから、被上告人の控訴はこれを棄却すべきものである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官奥野久之)
上告代理人杉島勇、同杉島元、同山崎幸三の上告理由
第一、原判決の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用に違反がある。
原判決は、地方自治法(以下地自法という)二四二条二項但書に定める「正当な事由」の解釈適用に違反がある。
一、地自法二四二条二項は、監査請求期間を原則として「当該行為のあつた日又は終つた日から一年」と定め、例外として「正当な事由があるときは」右期間経過後でもなお監査請求しうると定めている。
これは、一方において法的安定性の見地から地方行政にかかる法律関係の早期安定の確保を原則としていることを明らかにしていると共に、他方において右早期安定の確保という重要な要求を無視してまでも監査請求を認める必要がある例外の場合として「正当な事由があるとき」をあげている。
したがつて、右「正当な事由があるとき」とは厳格に解されるべきである。
二、原判決においても、「正当な事由があるとき」とは「右原則を適用することが著しく正義に反する特別の事情が認められるときに一定の要件のもとに例外を認めたもの」であり、具体的には、「当該違法・不当の行為をした関係者が一般住民に隠れて秘密裡にこれをしたなど特段の事情が認められる場合において、監査請求を求める住民が、地方公共団体の議会議員その他の特別の立場にあつて一般住民に先んじて右違法・不当の行為を知つた場合には右事実を知つた時から、そうでない場合には監査請求を求めようとする住民に対して地自法上要請される相当の注意力をもつてなすべき程度の調査義務を尽していれば当該違法・不当の行為を知りえたであろうと認められる客観的な条件ないし事実関係が生じた時から、それぞれ相当な期間内に、右住民が当該行為について監査を請求した場合」であると解している。
三、即ち、「正当な事由があるとき」というためには、(一)違法・不当な行為が一般住民に隠れて秘密裡になされたこと(二)右行為を一般住民が知つた又は監査請求を求めようとする住民に対して地自法上要請される相当の注意力をもつて調査義務を尽くせば右行為を知りえたはずの客観的な条件ないし事実関係の発生したこと(三)その時から相当な期間内に監査請求をした、という三点すべてについて検討されるべきである。
四、これを本件支出についてみると、特に前記(二)及び(三)についての検討が重要となる。
即ち、
1 原判決では、(二)の一般住民が右行為を知りえたはずの客観的条件ないし事実関係の発生した時が昭和六〇年二月六日新聞報道された時であると解している。
しかし、既に昭和五九年六月二五日から同年七月九日まで開催の同年第二回精華町議会定例会(以下第二回定例議会という)において本件支出の存在が明らかにされている(甲第二六号証)。当時議会は公開されていたので一般住民が誰でも傍聴して本件支出の存在を知ることができたものである。
次に、昭和五九年一〇月全町民に全戸配布された広報紙「精華町議会だより第二五号」(甲第二七号証)においてトップ記事として、右定例議会が五十四年度施行の祝園かんがい排水事業の用地買収費執行について追求した結果京阪・野村・三井の三開発業者より千三百十八万円を受領し、その内三百八十万円は五四年度会計に計上されたが残る九百三十八万円を予算計上していないことが明らかになつたなどが記載されている。
右記事を読めば一般住民は誰でも用地買収費としての右九百三十八万円がどこへ支出されたのかにつき関心を抱くのが当然(税理士である被上告人なら尚更)であつて、右九百三十八万円の支出が本件支出であるから、本件監査請求をしようとする住民であれば、右記事にもとづき、相当な注意をもつて調査(町及び議員からの事情聴取、町保管文書の閲覧など)すれば右「議会だより」発行後日時を経ずして本件支出の存在を知りえたはずである(仙台高等裁判所秋田支部昭和五八年二月二一日判決判例時報一〇八六号八八頁以下御参照)。
したがつて、おそくとも、昭和五九年一〇月には前記(二)の事実が発生したものと解すべきである。
被上告人の場合、同人が税理士であると共に精華町会議員である石橋平和を昔からよく知つている(被上告人の本人調書第二三項御参照)ことからも右事実の発生が容易に認められる。
2 そして、前記(三)の相当期間は、長くとも前記(三)の事実発生後監査請求のための準備期間などをみて二か月後である昭和五九年一二月末までと解すべきである(大阪地方裁判所昭和四六年三月九日判決判例時報六四五号六四頁以下御参照)。
3 したがつて、本件監査請求は「正当な事由があるとき」に該当しないものである。
五、よつて、原判決には法令の解釈適用に違反がある。
第二、第三、第四<省略>